日本の『死の舞踏』: 『九相詩』と『一休骸骨』 Kūsōshi and Ikkyū Gaikotsu 

Colloquium | March 3 | 3:30-5 p.m. | East Asian Library, Art History Seminar Room

 Yūichirō Imanishi, National Institute of Japanese Literature

 Center for Japanese Studies (CJS), C. V. Starr East Asian Library, National Institute of Japanese Literature

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*This talk will be given in Japanese*


ヨーロッパ中世を覆った「メメント・モリ」の思潮をもっとも雄弁に表すのは、『死の舞踏』(La Danse Macabre)という絵画で、書物としては15世紀1485年にフランスで出版された。そこには貴賤を問わずすべての人間を死へ誘う骸骨の姿が描かれている。いうまでもなく骸骨は死の象徴である。しかし、人間が死を免れないはかない存在であることは、洋の東西を問わない。日本では仏教の教えに「九相」ということが説かれていた。「九相」とは人間が死後、白骨になるまでの死体の腐敗変貌の過程の九段階のことであり、それはまさに仏教の「メメント・モリ」であった。その九相の図が描かれ、その絵に解説の漢詩と和歌を添えて『九相図』という書物が作られた。生のはかなさと生に執着することの無益を教える書物である。それは「メメント・モリ」に親しんできた西洋人、すなわち16世紀後半から17世紀はじめにかけて日本でキリスト教布教に努めた宣教師達にも注目され、布教のために出版されたイエズス会の出版物にも利用されている。『九相詩』の後、『九相詩』とはまったく別の角度から「メメント・モリ」を教える書物が出現した。『一休骸骨』である。酒を飲み踊り唄い、男女抱擁し、そして病と死、葬送、遺された者の出家・剃髪という人間の営みが、すべて骸骨の姿で示される。その絵は滑稽とユーモアにあふれているとも言えるが、その底に流れているのは、死すべきものとしての人間の究極の姿である。踊り唄う骸骨の姿は、まさに「死の舞踏」であるが、生と死を対立的に捉え生者を死へ誘うヨーロッパの骸骨とは異なり、生とは実は死にほかならないという、生死一如を表周する骸骨の姿がそこには見出される。骸骨はたんに生と対立する死の象徴なのではなく、生の究極の姿なのである。『九相詩』と『一休骸骨』の二書を取り上げて、日本中世の「メメント・モリ」について考えたい。

今西祐一郎(いまにし・ゆういちろう)

国文学研究資料館館長。平安時代文学・日本語表記論。
著書:『源氏物語覚書』(岩波書店)、『蜻蛉日記覚書』(岩波書店) 。校注書:『新日本古典文学大系『蜻蛉日記』・『源氏物語』(共著)、岩波文庫『蜻蛉日記』、『与謝野晶子訳 蜻蛉日記』(平凡社ライブラリー)、東洋文庫『通俗伊勢物語』・『古今集遠鏡』・『和歌職原抄』(平凡社)。

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